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by pugan

金子文子「訊問調書」其の二

第11回訊問調書1924年4月10日

<朴と金翰との爆弾の事>

一問 最初から知って居たか。

答 「九月中朴が京城に行って帰って来てから…会見した事を聞きました。

「其の時の会見は朴と金翰との間に夫れ程進んだ爆弾の事に就ての交渉は無かったであろうと思ひます。私は其の会見の詳しい模様を聞いて居りませぬ」

「朴が同年十一月中再び京城に行ったのは主として金翰と爆弾の事を交渉するが為めでありました」

三問 被告は崔?鎮を知って居るか。

答 知りませぬ。

四問 朴は爆弾の事を相談したと申して居るがどうか。

答 左様でありますか。私は只今初めて其の事を聞きました。…私と朴とが一緒に為る以前の事でありますから、私が知らぬ筈であります。

第12回訊問調書5月14日

一問「被告が朴と相談の上金重漢に対して爆弾入手の事を頼んだのは皇太子殿下の御結婚期にそれを使用する考からであったとの前回の申立ては相違無いか」答「左様です」

二問「被告等が金翰に対して爆弾の事を頼んだのも矢張り殿下の御結婚期を期して居たのでは無いか。」

答「私は朴が金翰と連絡を執る為めに京城に行った頃には其の近い将来に坊ちゃんの御結婚式が挙げられると云ふ事を知りて居りました。

其の当時坊ちゃんの結婚式の時日は確り極って居なかったと記憶します。兎に角其の近い将来に結婚式の行列の実現される事が予想されて居りました。夫れ故私は其の最も好い機会の行列に迄に爆弾を間に合はせる為めに朴が京城に行ったのであったと記憶して居ります。

三問 「朴が京城に出発するに際して被告は朴との間に御結婚式迄に間に合はせる事を協議したか。 

答「私は朴と御成婚御式の際には坊ちゃんに爆弾を献上仕様と云う事で始終話合って居りました。夫れが朴の京城に出発する以前の事であったか只今確と記憶して居りませぬ。兎に角私は朴が京城に出発する頃から御結婚式に爆弾を使用する事が一番好いと思って居りましたので、朴も金翰に対しては夫れ迄に爆弾を間に合はして呉れる様にと云った筈だと思って居ります。」

四問「朴は京城から帰って後被告に対して金翰との間に御式迄に爆弾を間に合はす様に協議して来たと告げたか」

答「私は朴から其の様な話があったとは聞いて居りませぬ。朴は京城から帰って来てから私に愈々金翰から爆弾を分けて貰ふ様にして来たと申した丈けでありました」

五問「御式迄に爆弾を使用する事を協議したか」

答「記憶が残って居りませぬ」

六問「金重漢との関係

七問「誰に投げる

答 「つまり坊ちゃん一匹をヤツ付ければ好いのであります。」

「天皇は病人ですから…」

八問「誰が投げる」

答「無論私も朴もそれを投げる筈でありましたが、其の外同志の新山や崔圭しゅう、山本勝之にもそれを頼む心算でありました。……私と朴とは此の三人を使って私等が爆弾を投げると同時に議会や三越、警視庁、宮城等に手を分けて爆弾を投げて貰う心算でありました。……」

九問「皇太子殿下に爆弾を投げる事を唯一の目的として居たのか」

答「坊ちゃん一人に爆弾を投げれば好いのでありますが、……メーデー祭の時とか議会の開会式の様な時に其の爆弾を投げ様として考へて居りました。」

五行未入力」

一〇問「朴も被告と同じ様に主として殿下に爆弾を投げる心算で居たのか。」

答「左様であります」

一一問「被告は何故 皇太子殿下に其の様な危害を加へ様としたのか」

<人間の平等をめぐり意見を展開>

問「皇太子になぜ危害を加えようとしたか」

答「私は予て人間の平等と云う事を深く考えて居ります。人間は人間として平等であらねば為りませぬ。其処には馬鹿も無ければ利口も無い強者もなければ弱者も無い。地上に於ける自然的存在たる人間としての価値から云えば総べての人間は完全に平等であり、従って総ての人間は人間であると云う只一つの資格に依って人間としての生活の権利を完全に且つ平等に享受すべき筈のものであると信じて居ります。

具体的に云えば人間に依って嘗て為された為されつつある又為されるであろう処の行動の総べては、完全に人間と云う基礎の上に立つての行為である。

従て自然的存在たる基礎の上に立つ之れ等の地上に於ける人間に依って為されたる行動の悉くは、人間であると云ふ只一つの資格に依って一様に平等に人間的行動として承認さるべき筈のものであると思ひます。然し此の自然的な行為此の自然の存在自体が如何に人為的な法律の名の下に拒否され左右されつつあるか、本来平等であるべき人間が現実社会に在っては如何に其の位置が不平等であるか、私は此の不平等を呪ふのであります。

私は遂二三年前迄は所謂第一階級の高貴の人々を所謂平民とは何処かに違った形と質とを備へて居る特殊の人間の様に考へて居りました。処が新聞で

写真等を見ても所謂高貴の御方は少しも平民と変らせられぬ。御目が二つあって御口が一つあって歩く役目をする足でも動く手でも少しも不足する処は無いらしい。いや其の様なものの不足する畸型児は左様した階級には絶対に無い事と考えて居ました。此の心持つまり皇室階級とし聞けば、其処には侵す可からざる高貴な或る者の存在を直感的に連想せしむる処の心持が恐らく一般民衆の心に根付けられて居るのでありましょう。語を換えて云えば、日本の国家とか君主とかは僅かに此の民衆の心持の命脈の上に繋り懸って居るのであります。

 元々国家とか社会とか民族とか又は君主とか云うものは一つの概念に過ぎない。処が此の概念の君主に尊厳と権力と神聖とを附与せんが為めにねじ上げた処の代表的なるものは、此の日本に現在行われて居る処の神授君権説であります。苟も日本の土地に生れた者は小学生ですら此の観念を植付けられて居る如くに天皇を以て神の子孫であるとか、或は君権は神の命令に依って授けられた者であるとか、若くは天皇は神の意志を実現せんが為に国権を握る者であるとか、従て国法は即ち神の意志であるとか云う観念を愚直なる民衆に印象付ける為めに架空的に捏造した伝説に根拠して鏡だとか刀だとか玉だとか云う物を神の授けた物として祭り上げて鹿爪らしい礼拝を捧げて完全に一般民衆を欺瞞して居る。

 斯うした荒唐無稽な伝説に包まれて眩惑されて居る憫れなる民衆は国家や天皇をまたとなく尊い神様と心得て居るが、若しも天皇が神様自身であり神様の子孫であり日本の民衆が此の神様の保護の下歴代の神様たる天皇の霊の下に存在して居るものとしたら、戦争の折に日本の兵士は一人も死なざる可く、日本の飛行機は一つも落ちない筈でありまして、神様の御膝元に於て昨年の様な天災の為めに何万と云う忠良なる臣民が死なない筈であります。

 然し此の有り得ない事が有り得たと云う動かす事の出来ぬ事実は、即ち神授君権説の仮定に過ぎない事、之れに根拠する伝説が空虚である事を余りに明白に証明して居るではありませぬか。全智全能の神の顕現であり神の意志を行う処の天皇が現に地上に実在して居るに拘らず、其の下に於ける現社会の赤子の一部は飢に泣き炭坑に窒息し機械に挟まれて惨めに死んで行くではありませぬか。此の事実は取りも直さず天皇が実は一介の肉の塊であり、所謂人民と全く同一であり平等である可き筈のものである事を証拠立てるに余りに充分ではありませぬかね。御役人さん左様でしょう。……寧ろ万世一系の天皇とやらに形式上にもせよ統治権を与えて来たと云う事は、日本の土地に生れた人間の最大の恥辱であり、日本の民衆の無智を証明して居るものであります。

天皇の現に呼吸して居る傍で多くの人間が焼死したと云ふ昨年の惨事は、即ち天皇が実は愚な肉塊に過ぎ無い事を証明すると同時に過去に於ける民衆の愚な御目出度さを嘲笑して居るものであります。

学校教育は地上の自然的存在たる人間に教える最初に於て<はた>(旗)を説いて、先ず国家的観念を植付ける可く努めて居ります。等しく人間と云う基礎の上に立つて諸々の行動も只それが権力を擁護するものであるか否かの一事を標準として総ての是非を振り分けられて居る。そして其の標準の人為的な法律であり道徳であります。法律も道徳も社会の優勝者により能く生活する道を教え、権力への服従をのみ説いて居る法律を掌る警察官はサーベルを下げて人間の行動を威嚇し、権力の塁を揺す處のある者をば片っ端から縛り上げて居る。又裁判官と云う偉い役人は法律書を繰っては人間としての行動の上に勝手な断定を下し、人間の生活から隔離し人間としての存在すらも否認して権力擁護の任に当って居る。

嘗て基督教が全盛であった時代には其の尊厳を保つ為に、其の説く処の神の迷信的な奇蹟や因襲的な伝説の礎の揺がざる事を虞れて科学的な研究を禁止したと同様に国家の尊厳とか 天皇の神聖とかが一場の夢であり単なる錯覚に過ぎない事を明にする思想や言論に対しては力を以て之を圧迫する。斯くして自然の存在たる総ての人間の享受すべき地上の本来の生活は能く権力へ奉仕する使命を完ふし得るものに対してのみ許されて居るのでありますから、地上は今や権力と云ふ悪魔に独占され蹂躙されて居るのであります。左様して地上の平等なる人間の生活を蹂躙している権力という悪魔の代表者は天皇であり皇太子であります。私が是れ迄お坊っちゃんを狙って居た理由は此の考えから出発して居るのであります。地上の自然にして平等なる人間の生活を蹂躙して居る権力の代表者たる天皇皇太子と云う土塊にも等しい肉塊に対して、彼等より欺瞞された憫れなる民衆は大袈裟にも神聖にして侵すべからざるものとして、至上の地位を与えてしまって搾取されて居る。其処で私は一般民衆に対して神聖不可侵の権威として彼等に印象されて居る処の天皇皇太子なる者の実は空虚なる一塊の肉の塊であり木偶に過ぎない事を明に説明し、又天皇皇太子は少数特権階級者が私服を肥す目的の下に財源たる一般民衆を欺瞞する為めに操って居る一個の操人形であり愚な傀儡に過ぎ無い事を現に搾取されつつある一般民衆に明にし、又それに依って天皇に神格を附与して居る諸々の因習的な伝統が純然たる架空的な迷信に過ぎない事、従って神国と迄見做されて居る日本の国家が実は少数特権階級者の私利を貪る為めに仮説した内容の空虚な機関に過ぎない事、故に己を犠牲にして国家の為めに尽すと云う日本の国是と迄見做され讃美され鼓吹されて居る彼の忠者愛国なる思想は、実は彼等が私利を貪る為めの方便として美しい形容詞を以て包んだ処の己の利金の為めに他人の生命を犠牲にする一つの残忍なる慾望に過ぎない事、従てそれを無批判に承認する事は即ち少数特権階級の奴隷たる事を承認するものである事を警告し、そうして従来日本の人間の生きた信条として居る儒教に基礎を求めて居る他愛的な道徳、現に民衆の心を風靡し動もすると其の行動をすらも律し勝な権力への隷属道徳の観念が実は純然たる仮定の上に現れた錯覚であり空ろなる幻影に過ぎない事を人間に知らしめ、それによって人間は完全に自己の為に行動すべきもの宇宙の創造者は即ち自己自身である事、従て総ベての<モノ>は自分の為に存在し全ての事は自分の為に為されねばならぬ事を民衆に自覚せしむる為に私は坊ちゃんを狙って居たのであります。」

「私等は何れ近い中に爆弾を投擲することによって地上に生を断とうと考えて居りました。私が坊ちゃんを狙ったと云う事の理由として只今迄申上げました外界に対する宣伝方面、即ち民衆に対する説明は実は私の此の企私の内省に稍々著色し光明を持たせたものに過ぎないのであって、取りも直さず自分に対する考えを他に延長したもので、私自身を対象とするそうした考えが即ち今度の計画の根底であります。私自身を対象とする考え、私の所謂虚無思想に就いては既に前回詳しく申し上げて置きました。私の計画を突き詰めて考えて観れば、消極的には私一己の生の否認であり、積極的には地上に於ける権力の倒壊が窮極の目的でありました。私が坊ちゃんを狙ったのはそうした理由であります。」

一二問 「身体の都合は什うか。」

答 「身体の都合ですか。夫れはとっく前に済みました。

一三問「被告は改心しては什うか。」

答 「私は改悛せねば為らぬ様な事は断じてして居りませぬ。成る程私の思想や行動計画は他人の迷惑と為るから悪だとも云へませうが、然し之れと同時に夫れは私自身を利するものであります。自分の利の為めに計る事は決して悪では無く却って夫れは人間の本性であり生きる事の条件であります。若し自分の為めに計る事が悪であるとするなら、其の責任は人間自体にあり<生きる事>にあります。私に取っては自分を利する事は即ち善であると同時に自分を不利にする事は即ち悪であります。

然し私は善なりと信ずるが故に計画を行って来たのではありませぬ。為たいから為て来たに過ぎないのであります。他人が悪なりとして如何様に非難しようとも自分の道を枉げ得ないと同様に、御役人が善なりとして如何様に私を煽てて下さいましても、自分が為たく無ければ致しません。」

「私は今後も為たい事をして行きます。其の為たい事が何であるかを今から予定する事は出来ませぬが、兎に角私の生命が地上に在らん限りは<今>と云う時に於ける最も<為たい事>から<為たい事>を追って行動する丈は確かであります。」

第13回訊問調書1924年5月21日市ヶ谷刑務所

「坊ちゃん一匹をやっ付ければ好いと申し上げた点を 皇太子一人を殺すれば好いのであると申し上げて用語を訂正したいと思います……」

訊問、十ヶ月の「放置」
第14回訊問調書1925年3月5日

<金翰が義烈団ではないかという問い>

第15回訊問調書1925年5月4日

<自由に話した><大審院管轄事件として取扱う>

第16回訊問調書1925年5月5日

「……反省する訳には行かぬか。」「……到底反省の余地はありませぬ。」「……弁護士一切を御断りします。」

第17回訊問調書1925年5月9日市ヶ谷刑務所

「被告は目下の生活方法を全く変換して自然化学の研究方面にでも没頭する訳に行かぬか。」

「若し私に生を肯定することが出来る様になれば、或は御訊ねの様に自然化学の研究にでも入ることが一番私の気持ちに近い生き方でしょう。」

第18回訊問調書1925年5月9日市ヶ谷刑務所

<此程度で終わる、弁解することがあるか、23人の証言要旨、供述要旨、聴取書を告げる>

立松判事宛手紙

「……調書未だ云い足りない点が有りました。……尚其の節は私の『財産』をも御持ち下さる事。私宛の書信は、速くお廻し下さい。私出しの書信も速くお出し下さい。……市ヶ谷監獄独房で 金子婦人美」

第19回訊問調書1925年5月21日市ヶ谷刑務所、予審判事立松懐清

<……金重漢の申立ては独断がある、真意を明らかにしておきたい、上申書を出した>

「金さんが叛逆者としての信用を増す様に思はるることを話したのは事実です。併し私共は夫れを全的に信じはしなかったのです。さうしたことの上に其人への信用を投げ掛けるには私共は余りにも多く人間の言葉とさうして所謂同志への失望とを体験して居ます。……」

立松判事宛手紙

「今、朝の六時過ぎ。……二三日前差入れられた、或るロシア作家の論文集を開けて見たら、ふと斯う云う文句が目についたのをキッカケに、あなたに説教する。『生きる事を欲する人間に、生きる事を欲しないように説教する事は滑稽である。人生が直接の満足を与える人間に向って、彼には生きる事が極めて不愉快であろうと語る事は誠に滑稽である。と同様に……』云々。で私は、あなたに云います……『生きる事を欲しない人間に、生きる事を欲するようよう説教する事は滑稽である。人生が直接の満足を与えない人間に向って、彼には生きる事が極めて愉快であろうと語る事は誠に誠に滑稽である。』最後に、アルツイバシユフは云った。……判事さんあなたは不徹底で困る。……二十一日朝 金子婦美」

第20回訊問調書1925年5月30日市ヶ谷刑務所、予審判事沼義雄

「……刑法第73条皇室に対する罪に当る様にも思えるので、そういう事であれば事重大であり、管轄も大審院の管轄になる事となるから、当職も此事件に干与し立松予審判事と共助することとなり、今一応被告に対して確かめるのであるが、之迄………」「……皇太子殿下を亡きものにし様と計画したのであったか。」「左様です。」問「被告は朴と相談の上爆弾投擲を企てたに関わらず朴は主として天皇陛下と皇太子殿下を爆弾投擲の対象とし、被告は主として皇太子殿下を其対象とし二人の間に相違あるのはどういうわけか。」

答「比較的可能性の多いと思われた皇太子を第一対象として計画を進めた迄の事であって……」

左の歌を書いて置いてください。

谷合いの早瀬流るる水のごと砕けて砕く叛逆者哉

叛逆の心は堅し薊草いや繁れかし大和島根に

第23回訊問調書1925年6月6日東京地方裁判所、予審判事立松懐清

<21回22回は掲載されていない>

「……殿下に危害を加うることは計画して居たことは間違い無いか。」

「そうです」

「被告は殿下の結婚式が大正12年の秋頃挙行去るることをどうして知って居たか。」

「…新聞記事を通してあった様に記憶します。」

問「皇太子殿下の御結婚を期し殿下に危害を加えることは計画していたことは違いないか」

答「そうです」

問「日本古来の地に生まれたる被告に対しては特に反省して貰いたいがどうか」

答「日本古来の地に生まれたるが故に私の之迄の考えて居たこと、しようとして居たことがより必要であり、より正しいものであることを信じます」

特別主要調書予審終結決定

爆発物取締罰則違反被告事件予審を遂げ終結決定すること左の如し

主文

本件は当裁判所の管轄に属せず

被告人両名に対する勾留状を存す

理由

被告人両名は虚無的思想を抱懐するところ大正拾弐年四月中、治安を妨げ且つ人の身体財産を害する目的を以て爆弾を東京市内に使用せんことを共謀し、金重漢に対し、支那、上海より其輸入を依頼し、其承諾を得たりと云うに在り、仍て之を審按するに…

現状打破の先駆として皇室の倒壊を期するの要ありと信念し居たる折柄、大正拾壱年弐月、此被告人朴準植を識り其意図を同人に告白して投合を得たるの結果、茲に被告人両名は同年五月中、…代々幡町代々木富ヶ谷…屋舎等に同棲して其目的遂行を画策し、終に当時大正拾弐年秋比挙行さる可しと謂える、皇太子殿下の御結婚式の時に於て其行幸便を使宜の街路に擁し、畏くも爆弾を投じて 天皇陛下又は 皇太子殿下に危害を加えんことを共謀し、其用に供する為め

一、朴準植は大正拾壱年拾壱月比京城府に赴き、当時帝国政府に反抗する目的を以て組織せる暴力団体義烈団と連絡して朝鮮に爆弾の輸入を画策せる民族主義者朝鮮人金翰と会見し、其分与方を申入れて其約諾を得

一、大正拾弐年五月比東京市本郷区天神町三点下宿金城館等に於て数次無政府主義者金重漢に対し、支那、上海に赴きて右義烈団等と連絡し同所より爆弾を輸入せんことを依嘱し同人の約諾を得たるも都度齟齬を来し之を入手するに至らずして事発覚し、大逆を実行するに至らざりしものにして其嫌疑十分なりとす。

即ち之を法に照すに、被告人両名が他人に嘱して爆弾輸入のことを共謀したる所為は爆発物取締罰則第四条に該当すと雖も、天皇 皇太子に対し危害を加えんとしたる所為は刑法第七拾参条後段に該当し、裁判所構成法第五拾条第弐に則り大審院の特別権限に属する犯罪なるを以て刑事訴訟法第参百九条に依り管轄違いの言渡を為し、被告人両名に対する勾留状の存置に付き同法第参百拾八条第弐項を適用し主文の如く決定す。大正14年7月7日予審判事立松懐清」

金子文子、予審請求書訊問調書(第1回)1925年7月18日市ヶ谷刑務所、

刑法第73条の罪並爆発物取締罰則……大審院特別権限に属する被告事件予審掛東京控訴院判事立松懐清……

二問 年齢は。

答 御役人用は二十四年ですが自分は二十二年と記憶して居ます。併し本当のことを云えばどちらのことも信じて居ませぬ。又信ずる必要もありませぬ。年が幾つであろうと私が今私自身の生活を生きて行くことには何の関係もありませぬから。

三問 族称は。 

答 神聖な平民です。

四問 職業は。

答 現に在るものをぶち壊すのが私の職業です。

五問 住居は。

答 東京監獄です。

六問 本籍は。

答 諏訪村 だそうです。

七問 出生地は。

答 横浜市だそうです。

第2回訊問調書8月29日

「……被告の両親は何れも被告が卯年の1月25日に生れ当年23になると申して居るが……」

第3回1925年9月2日、立松懐清

「…爆弾投擲の意思」

第4回1925年9月21日、東京地方裁判所にて、立松懐清

「朴と同棲後の生活方法」<朝鮮人参を売ったり会社ゴロ>「どんな人が被告等に好意を有って補助して呉れて居たか。」「有島武郎辺りです」<生活費>

第5回1925年9月22日立松懐清「反省する余地は有りませぬ。」意見書1925年9月30日公判開始決定1925年10月28日「本件に付公判を開始す。」
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by pugan | 2011-06-13 17:51